人々はなぜ戦うのか。
生きるため。
家族のため。
この日私は早朝から同じ場所で戦い続け、あたりは暗くなり始めていた。
敵は次から次へと押し寄せ、時ばかりが過ぎていき戦局は変わらない。
背中を見せれば対処すべき敵が増えていくことは分かっていても時には撤退する勇気も必要だ。
というわけで、戦線離脱を決意した私は残業することを放棄し、久しぶりの金曜キャンプに向かった。
オッサンのもとにオッサンが来る
19時前の日が落ちたキャンプ場。
到着とともにテントの設営を始めていたら、ボボボボボというエンジン音とともに一台の車がすぐそばに泊まった。
車からはキャンプしなさそうなオッサンが現れた。
暗がりの中で誰か分からなかったが、それはよく見るとただのオッサンではなく血のつながりのある年上のオッサンであった。
(世間ではそういうのを「兄」と呼ぶようなので、以後 「兄」と表現します。)
この日はソロキャンプでもよかったが、なんとなく誘ったようで誘ってないのに現れた兄。
これが友達や知り合いなら、「おう!」とか「どうも」とか挨拶もあるのだが、ほとんど言葉を交わすことなく、そそくさとテントの設営を始めた。
テントの設営でよくあるアレ
ところで、よく聞くキャンプトラブルのひとつに、
「周りにスペースがあるのに人のテントのすぐそばに張るヤツ」
ってありますね。
「なんでこんなに周りが空いているのに、目の前にテント張るんだ!」
「うちの区画にガイロープが入り込んでる!」
っていうあれです。
そんな状況がまさに目の前で起ころうとしていたので、兄に「近すぎる」と異議申し立てるも「そんなに近くないよ」というので残念ながらこちらがテントを移動させることにした。
(いや、近い・・・)
テントと星、テントと木々などの写真も撮りたかったので、なんとなく構図的に良さそうな位置取りでテントを張るつもりだった。
しかしなぜか隣にテントを張られ、よくよく見ると兄の設営した場所の方が写真を撮るには一番良さそうな位置であった。
すこし恨めしくもあり、兄に口ごたえのひとつもしたかったので、以後「兄」ではなく「呪」と書くことにする。
夕食と焚き火
5分ほどの「テント近い近くない論争」を終えてからはそれぞれが好きなものを作って食べ、呪の焚き火台を囲んで過ごした。
すでに鍋焼きチャンポンを食べた私に、しきりに「ラーメン食べる?」とすすめてくる呪。
麺類に麺類をかぶせてくるのはやめてほしい。
日中の戦闘から解放されていた私はビール飲んで久々のキャンプの夜を楽しんだ。
ソロであれば9時前にはテントに入ってダラダラとAmazonプライムで映画でも見るのだが、呪は「寝るには早い」と言いながら、燃え尽きるのに時間がかかりそうなでっかい薪を焚き火台に突っ込んだ。
それがようやく燃え尽きてそろそろ終わりかなと思ったらまた薪を突っ込む呪。
私は戦線離脱するほど疲れていたうえにアルコールが回って眠くなっていた。
そんな私を横目にとにかく焚き火をしたい呪は、火が十分燃え盛っているのに火吹き棒でフーフーしている。
燃えてる焚き火にフーフーしてもほとんど意味がないのだが、どうもフーフーすることで焚き火がうまくいっていると満足しているようだ。
長々と呪と焚き火にあたっていたが、時折、「ラーメン食べる?」と言ってきた以外に何を話したか呪の言葉は何ひとつ思い出せないのは、大した話もしていなかったからだろう。
そうしてようやくテントに入ったのは夜中の0時過ぎであった。
優しさを感じる朝
キャンプの朝。
テントからでると気持ちのいい青空が広がっていた。
そして先に起きていた兄がまた朝の焚き火をしていた。
兄は焚き火で湯を沸かし、ラーメンを作ってくれた。
「ラーメン食べる?ラーメン食べる?」と何度も聞いてきて、どうしてもラーメンを弟に食べさせたかった理由が
「賞味期限が切れているから」
というのは余計な情報であった。
そして苦手なネギを山盛りにする兄…。
戦線離脱してようやく行けた今年初めてのキャンプは、どうしても弟の近くにテントを張りたがり、どうしても弟にラーメンを食べさせたい兄の愛情たっぷりのデュオキャンプであった。
こういうキャンプも年に一回くらいなら行ってもいいかもしれない。
終わり。
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